「ここからしか生まれない物語」
「街を書くということ」
「物語」を生きること
突然の宣告だった。嫌がる父を連れて診察を受けに行った大学病院で、病状を告げる医師の声も何処か遠くに感じた。 そのまま慌ただしく入院させた個室は、見晴らしのいい高層階だった。足元には鶴舞公園の桜が綺麗に見えた。 「ビルばっかりで面白味のない街だと思ってたけど、綺麗な公園もあったな。」窓から外を眺めて父がポツンと呟いた。 「面白味がない」、私が父によく言われた言葉だ。父と違って名古屋生まれの名古屋育ち、生粋のナゴヤっ子の私が市役所に勤めることになった時も、「面白味のないお前が面白味のないナゴヤに勤めるんか。」とからかわれた。「面白味がないんじゃなくて、真面目なんだよ、俺も名古屋も…。」小さい声で反論はしたものの、何となく弱腰だった。 医師の言葉を守るかのように、父は段々衰弱していった。痛みもきつくなってきたようで、夜も上手く眠れないようだった。家族で交代して泊まり込むことにした。ある晩、夜中に急にベッドに起き上がったので、「こんな夜中にどこ行くんだよ、親父。」と思わず声を荒げてしまった。「この窓から飛び降りに行くんだよ。」父の好きなブラックなジョークだ。「残念だったね。この窓は開かないよ。俺は仕事で、明日も朝早いんだから寝てくれよ。」「相変わらず真面目でつまんない奴だな。」父は苦笑いしてそう言った。 暑い日が続いた。モルヒネで痛みが薄れ、父はほとんど眠った状態になった。そんな中、奇跡的に意識が戻った夜があった。ベッドを少し持ち上げると、父はうっすら目を開けて窓から外を眺めた。ちょうど、海の日だった。遠くに花火が上がってるのが良く見えた。何か言いたそうな父の傍に耳を傾けると、「ほぅ、綺麗だ。なかなかやるな、名古屋も。」それが、父と交わした、会話らしい最後の言葉になった。最後に名古屋を誉めてくれたのが、何だか、私が褒められたような気になり少し嬉しく、少し泣けた。
もう10 年も前のことだ。「せっかく名古屋に住んでいるのだからナゴヤドームに招待するよ!」と、県外に住む両親を中日・巨人戦に誘った。電話口に出た父は、喜んでくれた後なぜか冷静になって、母さんと相談してから返事をするよ、と一度受話器をおろした。その瞬間思い出した。その頃母は右腕の骨折からの後遺症で腕が伸びず、人目を気にして生活していたことを。私はそんなことを忘れ、観戦者で賑わうナゴヤドームに誘ったのだった。親孝行の大義名分のもと、そう自己満足のために。後悔した。自分の浅はかさに自己嫌悪に陥った。そんなところに電話が鳴り、「嬉しい、楽しみにしているよ!」と、母の弾んだ声が耳元に届いた。 当日、観戦中の両親は、とても楽しそうだった。どちらが勝ったとか、もはや関係はなかった。さあ帰ろうと球場を後にする。ナゴヤドームと矢田駅とを直結する通路は、帰路につく人、人、人であふれ返っている。私は両親を護衛するかのように前を歩く。も、人の流れには逆らえない。はぐれてしまったやも知れず振り返ると、案の定かなり後方を歩く父と目が合った。私が不安そうな顔をしたのだろう。父は大丈夫だ、と言わんばかりに左手を振った。私はゆるやかに通路の脇に移動し両親を待つことにした。周りの歩幅に合わせ、ゆっくりと近づいてくる。あと少しの距離で、人影の狭間に両親の全貌が見えた。父は、守るように左手は母の肩を抱き、右手では母の不憫になった右手をしっかり握っていたのだった。まるでダンスを楽しむ若いカップルに見えた。私は何だか見ちゃいけないような気がして、合流せずに先へ進んだ。 7 年前に父は他界した。ナゴヤドームでの野球中継を実家で観戦すると、母はきまって「帰り、すごい人だったね」と笑顔で話す。そして私は「僕は見ていたよ」と、毎回こころの中でつぶやく。そして、あらためて父の優しさと、母の父への愛の深さを噛みしめるのであった。
桜坂の先に校門のあるS高校に通っていた。 名古屋市東部、桜ケ丘という所である。毎朝私が星ヶ丘の地下鉄出口を出ると、同級生のCちゃんは真ん前にある歩道橋をトコトコと徒歩通学でやってくるのだった。 私とCちゃんは、系列の上の大学を志望せず外部受験志望という点で、すぐに意気投合したのであった。あの頃の私は生意気にも、 「ここは田舎でもないが都会でもない。とにかくここではない何処かへいきたい」 と漠然と思っていた。 そんなある日、私は彼女の進路がアメリカの大学であることを知らされた。家族で移住するという。幼い頃、向こうに住んでいたことがあるから、という事情も地元で小商いをしている両親を持つ私から見れば、憧れのシチュエーションである。はっきり言って羨ましすぎる。私も何とか将来への曖昧な理想を現実にしなければ、と慌てて進路を東京の大学に設定したのだった。 あれから三十年近い月日が経った。私は東京で大学生にはなったものの、卒業後もそのまま居座る理由も見つけられず、地元名古屋にそそくさと戻ってきてホッと息をついた。Cちゃんは現在も彼の地で、家庭も築いた。年に一度帰国するが、実家がないため長野の叔母宅に滞在する。そこに私が会いに行くという形でつき合いが続いているのだ。 今年も 「名古屋土産、何がいい?」 「つけてみそ、かけてみそ買ってきて」 他にも、納屋橋まんじゅう、千なり、えびせん、天むすなど当然のように持っていく。それをCちゃんは目を輝かせ、むしゃむしゃほおばる。隣にいるアメリカ育ち、中学生の娘Aちゃんはキョトンと見ているだけで、手を伸ばそうとはしない。アジア系の父親を持つハーフの彼女はルックスこそオリエンタルだが、中身は完全にアメリカンなのだとその時思う。そしてCちゃんの中身はうれしいことに未だ完璧に「ナゴヤ人」だ。
社会人になって最初のGW。私は新幹線で名古屋へ向かった。 改札の外で、遠距離になった彼が待っている。卒業式ぶりに見る彼は、ちょっとだけサラリーマンの顔になっていた。 「案内するよ」 少し得意気な彼に連れられ、モーニング付の喫茶店、お城、動物園、港。色々な所を巡り、一日の終わりに栄の変わった建物で休憩した。 名古屋は、洗練されたレストランのウェイターみたいだった。 (こちら、おススメですよ) あれこれと珍しいもの、ここにしかないものを運んできては、私を飽きさせない。 ゆらめく水と、街の景色を見てそんなことを考えていると、彼が言った。 「もうお別れの時間だ」 「うん帰るね」 知らない街だった名古屋は、彼と会える特別な街になった。 一人で乗った帰りの新幹線から眺める名古屋は、夜景がきらめいていて、少し胸がぎゅっとした。 数年後、彼は約束通りプロポーズをしてくれて、私は名古屋の住民になった。 「あ、初めてのGWで行った喫茶店だ」 街を歩いていると、ふと、遠距離になったばかりの私たちに出会うことがある。 「本当はさみしい」 あの時は、言えば壊れそうで、押し込めていた気持ち。 変わらない名古屋の街が、それをほろほろとほぐしてくれる。そしてその代わりに、独特な文化が私にまとわりついてくる。 名古屋は、ちょっとおせっかいで濃い性格の親戚みたいだった。 (これからも二人でがんばりゃー) 気取らない、何でも包み込めそうな笑顔で、私たちの背中を強く押してくれている。 買い物帰り、オアシス21 で景色を見てそんなことを考えていた私に、夫が声をかけた。 「そろそろ帰ろうか」 「うん帰ろう」 彼と会える特別な街だった名古屋は、夫と暮らしていく日常の街になった。 二人一緒に電車に乗って、同じ家に帰る。窓から眺める名古屋の街は、灯りがともってあたたかかった。
幼い頃、早朝に僕と弟の二人だけでコメダ珈琲店へと行ったことがある。喫茶店で朝食なんて、カッコイイと思ったからだ。 メニューを見て、僕は早速帰りたくなった。値段が想像よりも高い。一品頼むだけで、駄菓子がたくさん買えるほどだ。 かと言って、何も頼まずに帰るのは失礼だし、なによりも生まれたてのプライドが許してくれない。僕は仕方なくアイスミルクを頼んだ。弟もアイスミルクを頼んだ。 以上で。と言うと、店員のおばさんがモーニングサービスを勧めてくれたので、それに従った。餡子がつくやつを二人して選んだ。 支払い後のお小遣いの残りについて確認し、その少なさに落ち込んでいたところでトーストとアイスミルクが届いた。 アイスミルクは壺のような、変わった容器に入っていて、形の物珍しさから弟と一緒に顔を近づけて容器を眺めた。 観賞魚の入った水槽を眺めるように。 五分ほど経つと弟のお腹が鳴ったので、容器の観察をやめてトーストを齧った。この頃の僕らはパンの耳があまり好きではなかったため、真ん中から食べるのが当たり前だった。 一口齧った後、アイスミルクを飲んでいると、弟は僕のトーストを奪って自分のと合わせた。合体したトーストは中央部分に空洞ができていた。 「なにしてんの?」 「見てる」 「なにを?」 「大人になった兄ちゃん」 「大人の俺はなにしてんの?」 「笑ってる」 「誰と?」 「わかんない。あ、今謝ってる」 おかしな会話であった。でも、この時は何故かおかしいとは思わなかった。 後日、母も連れて来店をした時も弟は空洞を覗いたが、その時は何も見えなくて、悲しい顔をしていた。 そんな弟を見て、やっとあの空洞から見えた光景が非現実的なものだと僕は気がついたが、今はそれこそが間違いだと僕は思う。 なぜなら、僕は目の前でトーストの空洞を覗いている娘の姿に、たった今、笑ってしまったからだ。
トーストホール
幼い頃、早朝に僕と弟の二人だけでコメダ珈琲店へと行ったことがある。喫茶店で朝食なんて、カッコイイと思ったからだ。メニューを見て、僕は早速帰りたくなった。値段が想像よりも高い...
作:里川 渦蓮
なかなかやるな
突然の宣告だった。嫌がる父を連れて診察を受けに行った大学病院で、病状を告げる医師の声も何処か遠くに感じた。そのまま慌ただしく...
作:エヌアール
私は知っている
もう10 年も前のことだ。「せっかく名古屋に住んでいるのだからナゴヤドームに招待するよ!」と、県外に住む両親を中日・巨人戦に...
作:福耳劇場
何年経っても
桜坂の先に校門のあるS高校に通っていた。名古屋市東部、桜ケ丘という所である。毎朝私が星ヶ丘の地下鉄出口を出ると、同級生の...
作:たまきはる
特別な街、日常の街
社会人になって最初のGW。私は新幹線で名古屋へ向かった。改札の外で、遠距離になった彼が待っている。卒業式ぶりに見る彼は...
作:小賀 絢子